新聞記事から・・・
2008/01/08(Tue)
1月7日付けの読売新聞の記事「高校グラフティー」に県立会津高校と県立葵高校が載ってました。

会津といえば、藩校日新館。
入学を控えた武士の子どもたちへの教え「什の掟」の一節

一、ひきょうな振る舞いをしてはなりませぬ

二、弱いものをいじめてはなりませぬ

・・・ならぬことはならぬものです
  (=してはいけないは、してはならない=しなければならないことはしなければならない

戊辰戦争から今年で140年。

戊辰戦争後、逆賊を汚名を着せられても、会津人は忍耐力や責任感を失わなかった

と記事は書いています。
県立会津高校は元男子校(2002年より共学)で、ここの剣舞委員会が、会津若松市飯盛山の白虎隊慰霊祭に剣舞を奉納しているそうです。
舞うのは男子のみで自刃した隊士と同じ19人が、白はちまきに模造刀を手に眼鏡や時計を外して臨みます。

この学校は、明治23年私立会津中学として創立。
創立の功労者として山川浩・健次郎の名前がみえます。
藩校の流れをくむ古い学校です。

高校のHPに書かれている旧会津中学校校歌の三番に

飯盛山にしづまれる
若き義人も出でて見よ
君と臣との大道を世に示さんはただ我等


とあり、深い歴史の上に生まれた学校だと思いました。


残念ながら委員数は減っていて、他のクラブとのかけもちが多いそうですが、先輩・OBの指導は熱く、細かいしぐさも意味を伝えながら行われているらしいです。

県立葵高校は前身を「私立会津女学校」といい、会津藩士の娘海老名リンが創設しました。(2002年より共学)
こちらの舞踊部は娘子軍を追悼するため彼女ら碑がある善龍寺での慰霊祭に舞を奉納しているそうです。
海老名リンは「若松幼稚園」も創立しており、こちらのHPでは戊辰戦争のことリンの生涯などを小学生向けにやさしく書いています。


今からちょうど125年まえ(1868)に、この会津に、大きな戦争がありました。
これは、日本の国の中でおきた戦争ですが、江戸(今の東京)と東北地方を除いた、日本のおおかたの軍勢が、このせまい会津に一度に四方からおしよせてきたという、会津にはそれまでなかった、えらい戦争でした。
と、いっても、会津が決して悪いことをしたわけではありません。
 それどころか、会津のひとびとは、天皇がおられる京都のまちに、悪いものがはびこっているので、天皇とその都を六年間も守っていたのです。
 しかし、意見のくいちがいからとうとう戦争となり、おおよそ西の軍勢は、江戸を攻めてきて、その次に、会津へと攻めかかってきたのです。




ベストセラー「国家の品格」でも日新館の「什の教え」は取り上げられて
今、会津の「教育」は注目されているのだとか。

どちらの学生も奉納にあたり、あらためて歴史をたどり彼らの生き方に学ぶものは多かったといいます。

会津の魂は今もこの地に息づいているのだとあらためて思いました。

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コメント
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あさぎさん>

会津高校の校歌は意味深く、あえて三番の最後にこの歌詞があるのが泣かせます。

一番か二番しか公に歌ってなかったのかなとかんぐったり・・・

会津の歴史はやはりそこに育ったものが正しく学び、伝えていくのが使命なのだと思いました。

2008/01/12 12:52  | URL | なつ #-[ 編集]
-  -
今頃新年のご挨拶は、間が抜けてるでしょうが(汗)まだいいですよね?松の内って言いますもんね?(苦笑)
明けましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願い致します☆

で、校歌の3番。
歌詞を読んでいて目頭が熱くなりました。
>会津が決して悪いことをしたわけではありません
本当にその通りですよね。

これからも会津の子供達はきっと、ご先祖達のことを誇りに思って生きて行くのでしょうね。
2008/01/10 14:01  | URL | あさぎ #-[ 編集]
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