「三千世界の烏を殺し」竹田真砂子と「高杉晋作」童門冬二を読みました。

三千世界の烏を殺し―高杉晋作と妻政子三千世界の烏を殺し―高杉晋作と妻政子
(1991/03)
竹田 真砂子

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疾走の志士 高杉晋作疾走の志士 高杉晋作
(2002/05)
童門 冬二

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   ♪三千世界の烏を殺し 主と朝寝がしてみたい

高杉が作った言われる都々逸です。高杉晋作は三味線が引け、粋に遊びまくった人のようです。
でも正妻政子(マサとも)を大事にしていたことは確かなようです。
高杉といえば愛人のうのさんが有名です。
映画やドラマでも必ず出てきます。
晋作が亡くなったあと尼となり、山口の墓のそばに庵を建て終生守りました。
名前を「梅処」。梅の花は高杉が好きな花です。

「三千世界~」はそのうのではなく、正妻であり晋作のひとり息子東一の母政子をとりあげてます。
政子は15歳で晋作に嫁入りします。
彼女は長州一の美しい大身のお姫様で縁談が降る様にあったらしい。
格下の高杉家に決まったのは、親が晋作の才覚に惚れたからと言われてます。

その政子について、晋作・うの・野村望東尼・白石正一郎・松子(木戸夫人)・伊東博文が語るという連作になっています。
晋作はこの可愛い妻がいとしくて、守ってやらねばとずっと思っていました。
外国の侵略や、幕府の進攻と戦ったのも、この妻や家族が辱められてはいけないという気持ちからでした。
でも夫としてそばにいた時間はわずかでした。
謹慎を言い渡され、頭を剃って松本村の小屋で過ごした2ヶ月・・このときが唯一二人きりで過ごした時間でした。
高杉はひとところにじっとできない(させてもらえない)運命だったのです。
それでも子供を授かったのは幸福でした。

ひとり息子・・高杉家の跡取り。
自らもひとりだった晋作のなによりの宝でした。
親と家と子供。晋作が大切にしたものを預けたのは政子でした。
だからうのさんのように危険を承知で連れ歩くことができなかったし、病気がうつると看病もままならなかったのです。

22歳で未亡人となった政子は78歳まで生きます。

いろいろな人が語る政子、そして政子を案ずる晋作の姿・・おもしろかったです。
特に松子(木戸夫人)と伊藤博文の章。
女流作家らしい文の柔らかさでこの本はちょっとおすすめです。

「疾走の志士高杉晋作」で作者は晋作の句「おもしろきこともなき世をおもしろく」を取り上げ

  面白くない世を面白く生きつづけた男

と描きたいと書いてます。
彼は面白くない世の中を面白く生きるために仕掛けて行ったのだと。


第一次長州征伐で、参謀総長西郷吉之介いろいろな条件をだしています。

責任者の首だとか藩主の謹慎とかとかと並び

桂小五郎と高杉晋作の両人を差し出すこと

がありました。
池田屋で吉田稔麿、禁門の変で久坂玄瑞・入江九一を失った長州を動かしていたのは彼ら二人だとわかります。
この条件は「両人は死にました」として届けられました。
(桂は木戸姓に晋作は谷潜蔵などに変名)

高杉の生涯は一口で語れないほど揺れていてまだまだわかりません。



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コメント 2

なつ  2007, 12. 07 (Fri) 14:15

Akiさん>

晋作はマサさんにも手紙は書いていたみたいです。(母宛となってましたが必ずマサにも見せるように書いてあった)
作者は、親と家を任せてしまったマサに晋作は終生後ろめたかったのではないかと言ってます。
マサとうのに背比べさせてたという話もあって(これは他の本にも載ってた)
最期をマサ・うの・望東尼に看取られた晋作はモテた男なんですよ(笑)

えっ久坂!ノーマークでした(笑)

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Aki_1031  2007, 12. 07 (Fri) 13:06

ヌシと朝寝が~♪いいですよね。私もこの都々逸好きです。
マサちゃんを思って作ったことは知りませんでした(小説の設定?)。
高杉がマサちゃんと共に過ごした日は、確か実質1年半くらいでしたっけ…?
そんな短期間だったのに、マサちゃんはずーっと高杉を
思い続けていくんですよねぇ…(涙)。

うのちゃん宛の高杉ラブレターを読んでいると、
高杉がうのちゃんのことをめちゃくちゃ気遣っていたことが分かって
やはり、うのちゃんの方が好きだったのかなぁ…などと考えてしまいます(苦笑)。
でも彼女たち以上に高杉が愛していた人が、
久坂だったりするところがまた何とも…(爆笑)

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