敗者からみ見た明治維新 早乙女貢
2007/11/27(Tue)
「敗者からみ見た明治維新・早乙女貢」と「幕末入門・中村彰彦」を読みました。

敗者から見た明治維新~松平容保と新撰組 敗者から見た明治維新~松平容保と新撰組
早乙女 貢 (2003/11/27)
NHK出版

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幕末入門 幕末入門
中村 彰彦 (2003/11)
中央公論新社

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歴史は勝者のものだと以前読みましたが、本当にそうだと思いました。
今子どもたちは、「明治維新」は文明開化の始まりですばらしいことだとしか教えてもらえません。
私もずっとそう思ってきました。
でも現実はそうではなく、もっとドロドロした抗争を繰り返していたのです。
松平容保と会津藩は本当に最後まで武士でした。
そして会津藩お抱えの新選組もまた、この藩についたから武士を通せたと思います。

新政府は旧幕府軍の反逆を恐れて、見せしめとして会津藩を徹底的に叩きました。
それは死者に鞭を打ち、生者にもまた鞭打つ行為でした。

戦死者を寺に葬る事を許さなかった。(街に野ざらしの遺体があふれた)
旧藩士たちを下北半島のに荒地に追いやった。(朝敵徳川家さえ由緒腑深い静岡だった)


幼帝の名を借りた薩長主導の新政府のやり方を知ると
「西郷隆盛」も「木戸孝允」も「大久保利通」も皆英雄なんかじゃないと思います。

会津藩は移封された南部領田名部を「斗南(となみ)」と変えます。
中国の詩文「北斗以南皆帝州」(北の果ての荒地もまた天皇の土地である、北斗七星を仰ぐ帝州の民だ)から取った言われています。
どこにいても日本国の民・・・敗れても忠義を重んじたのでした。

旧会津藩の藩士たちは廃藩置県による町村合併などで、各地に分散してしまいました。
斗南は小さいところだったので他のところと一緒に弘前県となりました。
各県には新政府より任命された役人が配属され旧藩士たちは職を失ったのです。
それでも会津人たちは教育界などで明治を生き抜いたとされています。
日本初女性留学生に会津の山川捨松(後の大川巌夫人)がいたことが有名です。

会津藩の苦難、あるいは勝者であったはずの奇兵隊の末路を知ると、生き残ったもののほうが大変だったと思います。

高杉晋作も坂本龍馬も、志半ばで死んでしまい、本人たちにとってはくやしかったかもしれません。
でも死んだからこそ名誉・功績が無傷で残ったともいえます。
新選組も残された身内が新政府のもとで肩身のせまい思いをしたのはまちがいありません。

松平容保が最後まで身に着けていた竹筒に孝明天皇の御宸翰が入っていたことはテレビでもやっていました。
晩年(明治26年)病んだ容保に対して英照皇太后(孝明天皇の皇后)が見舞いの牛乳を贈られたそうです。
容保はどれほど嬉しかったでしょうか・・・


※「幕末入門」では「孝明天皇暗殺説」について
痘瘡の回復間際に毒(砒素)を盛られたという結論を出しています。
岩倉具視の姪が女官として仕えていたので、首謀者は岩倉、あるいは背後に大久保利通がいたのであろうと・・

※「敗者から見た明治維新」では「土方歳三暗殺説」もありました。
降伏を考える榎本武揚や大鳥圭介にとって武士らしく死のうとする土方や伊庭八郎は疎ましい存在となったから殺されたのではと。
そうでなければ、仮にも陸軍奉行並の土方なのに、死場所の証言がまちまちであったり、埋葬場所が不明というのはおかしいのではと書いています。


追記

徳川の世は265年続きました。
この安定した期間に花ひらいた文化・風俗は数知れません。

薩長土肥を中心とした政府は、第二次世界大戦の終了まで77年です。
「陸の長州」「海の薩摩」と軍部は最後まで足並みが揃っていなかったと言われています。
日本の近代化の始まりと言われるこの期間は多くの血も流されていたのでした。
そして戦後62年・・・も経つのに意外と日本史の教科書では数ページで終わりです。
歴史は奥深いものですね




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コメント
-  -
孝明天皇毒殺説、これもはっきり言って現在の歴史学者の間では病死説が有力です。

以前は学者達の間でも毒殺、病死と意見が分かれてましたが名城大学名誉教授で初代明治維新史学会長の原口清氏の論文
「孝明天皇の死因について」(明治維新史学会報第15号)
「孝明天皇と岩倉具視」(『名城商学』第39巻別冊)が出て以降、それまでの毒殺、病死の対立が大きく病死の方へ変わりました。

「幕末入門」の中村彰彦先生も一応原口清の名は出てましたが肝心な所が書いてありませんでした。

原口清説の特長はまず医学的に痘瘡という病気の説明から入っており、正確な医学知識を持って孝明天皇の病状を示す資料を見た場合孝明天皇は明らかに痘瘡、それも死亡率の高い病状であったのが分かります。

原口清氏の論文は一般に手に入りにくく、ネットや各種本でも原口論文の存在知らずに議論してるのも多数あります。
2007/12/13 19:32  | URL | 毅 #-[ 編集]
-  -
毅さん>

コメントありがとうございます。
確かに早乙女さんの本は過激なようです。

会津の方が皆、薩長をうらんでいると思いませんし、
「観光戦略」的に対立をだしているところもあると聞きました。

薩長にも「壊したい人」ばかりではなかったと思います。

とはいえ、郷土の人のことをよく言いたいのは仕方ないでしょう。
小学生のころから、まずならうのは地元の歴史ですから。

広くいろいろな方の本を読んで理解を深めたいです。






2007/12/13 17:54  | URL | なつ #-[ 編集]
-  -
早乙女貢先生は病的な薩長怨念史観ですね。
私も敗者から見た明治維新読みましたが、史実を無視したいい加減な内容で呆れてしまいました。

会津の評価を高めるつもりが逆に会津をバカにしてる感じです。

勝者のご都合史観を否定してるのは分かるが、それと表裏一体の史観では話になりませんね。

早乙女説、まともに信じるとヤバイですね、会津の人でさえ支持してない人もいますから。
2007/12/11 12:20  | URL | 毅 #-[ 編集]
- No title -
あさぎさん>
バトンUPしました。
幕末は奥深くて見方を変えると全然違うものになりますね。
意外と土方歳三については知らないことに気付きました(苦笑)


Akiさん>

歳三の埋葬地がわからないというのは不思議でしたが、新政府の恨みを持つ人に掘り起こされないために味方が隠したのかと思ってました。
戦地だからどこかわからなくなったとか・・
内部抗争とは思いたくないですね。


確かに幕末マニアに小指ほど踏み込みました(笑)


2007/11/30 09:08  | URL | なつ #-[ 編集]
- No title -
高杉に続いて新選組ですねー。
しかもいよいよ小説の世界から歴史考察の世界へ足を突っ込みましたね?(笑)
すっかり幕末マニア仲間(笑)となり、嬉しい限りですvv

歳三暗殺説は、私も初めて知った時は驚きました。
これに近いものには、フレンドリーファイア説…いわゆる味方による誤射説がありますよ~。
あとセルフディスパッチだったとも言われたり(汗)。
とはいえ、内部抗争のなれの果てとは個人的には思いたくないです。
トシはこの戦いは最後まで貫く覚悟だったと思いますが、
明治の世になってまで生き続けたいとは思っていなかったと思うので…。

それにしても、さすが読書家なつさん!
あっという間に2冊も読まれたのですね。
高杉考察関係で良い本がありましたら、是非教えて下さいませ!
2007/11/29 13:39  | URL | Aki_1031 #IPctb5GI[ 編集]
- 続けてのコメントに -
なってしまいますが、、、

なつさんに受け取って頂きたいバトンが有るんです~
宜しかったら、ウチ見に来て下さい~
2007/11/28 12:12  | URL | あさぎ #-[ 編集]
- No title -
確かに学生時代は、「明治維新」は、日本の夜明けだと教わりました。さも、それまでの江戸幕府は「悪かったんだ」と言わんばかりの歴史を教えられたような気がします。
「新選組!」ファンから派生して、会津や奇兵隊、その他色んなことに興味を持ち、少しは「夜明け」の影で苦しんだ人達に思いを馳せることが出来たのは、私に取っていい事だと思っています。

で、、「土方歳三暗殺説」なるものが有るのですか~~?

そういえば、、「銃弾が飛んできた位置が変」とか、、何かで読んだような気が、、、
いや~ 大鳥さんはどうかな~?って気はしますが(いいのか?こんなこと書いて?)榎本さんはそんなこと、絶対考えもしなかったと、信じたいです。

長々としょーむないコメント、失礼致しました。
2007/11/28 10:13  | URL | あさぎ #-[ 編集]
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