前回「中岡慎太郎」は解説のセンセーがいまひとつで残念でした・・・
今回は桂さんです。

山口県萩市の桂小五郎生家にかかる書。
五,六歳のころに書いたという「今日」という文字。なかなか美しい。

「人の功をとって我が拙を捨て  人の長を取って我が短を補う」


吉田松陰に送った手紙にある言葉らしい。
「松陰の一番弟子」(松陰が藩校明倫館で教えていたころ桂が在学)ということは
あまり聞いたことがありませんでした。
ああでも、松陰の遺体を引き取りに行ってたり、村塾生たちの面倒をみていたのは確かですね。
今回の解説井沢元彦氏はやさしくとてもわかりやすい。

この神道無念流の教え

「武」とは戈(ホコ)を止めるという
本当の武とは戦うためのものでなく、争いを止めることにある



桂に大きな影響を与えているというのは「歴史秘話ヒストリア」でもありました。

「かくすれば かくなるものと知りながら やむにやまれぬ大和魂」

わかっていても突っ走ってしまう松陰。「矢に当たりに行く」というたとえがうまかった。



池田屋事件では仲間を見捨てて逃げ出した

おお言い切っちゃいましたね(苦笑)
禁門の変にも姿が見えなかった桂
「逃げの小五郎」
ここのあたりは絶対避けられない汚点というか・・
いくら幾松さんとのロマンスがあってもそのあと幾松にも知らさず出石に隠れ住んじゃいますから
桂さんのダークな時代ですよね。


井沢さん、娘の相手としては「龍馬・西郷・桂」なら桂が一番と絶賛(笑)
(すごいほめ方やな)

で、「逃げの小五郎」がにげなっかたのが「薩長同盟」だという展開。
薩長同盟で桂がだんまりを決め込んだのは、龍馬を待ち薩摩より同盟を言い出させるための作戦という説でした。
「そのとき桂は心の刃を抜いた!」とかめっちゃ持ち上げてます(苦笑)

桂小五郎のひ孫、東京大学名誉教授和田昭允氏。
桂さんの番組に登場するのは初めてではないでしょうか。
(木戸孝允の養子孝正の次男が昭允氏の父和田小六・長男が木戸孝一)

桂小五郎は誰のナンバー2だったか?

毛利藩主のナンバー2⇒日本(新政府)のナンバー2⇒松陰のナンバー2(教育で優秀な人材を育てるという志を継ぐ)

一番輝いていたときは「版籍奉還」をやりとげた時
という井沢氏。
たいていの人が「薩長同盟」とか志士時代を輝いていたときだというひとが多い中
井沢さんの視点は新鮮でした。
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