その後の徳川家
2007/09/09(Sun)
まずは訂正をひとつ。
「天璋院篤姫」を紹介したとき「北条政子」を書いた人だといいましたが勘違いでした。
あれは永井路子さんでした。

徳川の将軍は十五代で終わったことは歴史で習いましたが
徳川家は勝海舟や和宮たちの努力で取り潰しを免れました。
十四代家茂のあとを継ぐはずだった田安家の亀之助は十六代当主「家達」となりました。
家達は天璋院に養育されてりっぱに育ち、そのあと家正→恒孝と徳川家は現代も続いています。
天璋院は46歳で亡くなられましたが家達さんが20歳になるまで見届けたので良かったと思います。

家達さんは新政府のもと公爵の地位を与えられ、貴族院議長を長く勤められたそうです。
6歳で当主なった家達さんは昭和15年まで生きておられます。

十七代家正さんの妻は島津家の人です。これは家達さんの養母天璋院の長らくの願いでした。
家正さんの長男が亡くなったため、十八代恒孝さんは養子です。
恒孝さんの母豊子は家正さんの娘、つまり孫を養子に迎えたのでした。

豊子さんの嫁ぎ先は会津松平家。
そう・・松平容保さんの子孫の家系(ご主人一郎さんの父が容保の4男)なのです。
恒孝さんは徳川、島津、会津の血を受け継ぐ方なのでした。




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