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ある番組で「赤十字社」の歴史が特集されていました。
なぜか赤十字社創設者「アンリ・デュナン」の名前は知ってましたが、日本のことは知りませんでした。

赤十字社は戦争による負傷者を敵味方の区別なく救護することを目的として設立されたものでした。
1867年(慶応3年)パリ万博でこの組織を知った佐野常民(さの・つねたみ)は大きな影響を受けました。


1877年(明治10年)に西南戦争起こると救護組織の必要性を唱えるが政府は反対
直接戦場の熊本に行き、政府軍の総指揮官有栖川宮熾仁親王((ありすがわのみやたるひとしんのう)に嘆願(たんがん)。
ついにはその熱意により、即日許可を受けることができました。


「博愛社」と名付けられたこの組織こそ日本赤十字社の前身となるのです。

佐野常民は佐賀出身。
元は藩医の養子で緒方洪庵の適塾に学んだ医師。
長崎伝習所の1期生でもあり五代友厚や勝海舟と航海や造船技術も学んでいます。


今震災被災地で赤十字の活動が行なわれていますが、もともと戦争の際の救護のみ行なっていた組織を
災害救護へと広げたも佐野常民の決断だったそうです。

1888年(明治21年)に起こった福島・磐梯山の噴火により負傷した人たちに対して
赤十字の医師団を派遣したのです。

災害支援を始めたのは『日本』が最初だった!

またこのとき全国の新聞社が義援金を募集、54新聞社の6万人から3万8千円(15億円相当)の募金が集まったといいます。
メディアによる社会活動のさきがけです。


すばらしい赤十字社さんの活動ですが、番組で紹介していた先生いわく


緊急時において医療以外の支援を行なう実働部隊を持っていない
義援金の配分を「平等」を基本とするあまり、被害の全貌がわかってからしか出せなくなっている

など組織が大きすぎて小回りがきかなくなっていると言われています。

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コメント - 2

なつ  2011, 05. 30 (Mon) 15:49

リューザキ弾正さん

コメントありがとうございます

現場に派遣されている医師団の方々の費用は義援金からは出していないということを番組で知りました。
叔父さまの給与も実は全国の赤十字奉仕団員からの会費なのです。
どういう経緯かはわかりませんが、全国の自治組織(町会)から納めているので私もわずかながらだしていることに・・・

高松稜雲先生の話はドラマで見たことがあります。
「仁」先生のベースはここあたりにあるかもですね

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リューザキ弾正  2011, 05. 27 (Fri) 21:47

亀ですが・・・

叔父が日赤に勤めていました(既に定年退職)
ですが、災害派遣は日本が最初だった!ということは、知りませんでした。

箱館戦争の折りも、高松稜雲先生が、敵味方なく治療をし、
幕軍兵を斬ろうとした薩摩兵を怒鳴りつけかばったことがありますね。
(薩摩兵も理を認めて引き下がりました)

現場レベルでは、常に能動的なのに、組織としては・・・と、残念でなりません。
記事、とても興味深く読まさせていただきました。

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