傾いた本棚

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本棚を見るとその人のことがわかるとか・・・

幕末志士を読む⑧~山縣有朋 

山縣有朋と言う人は人気がない(断言かよ)
司馬遼太郎氏もぼろくそ言ってるらしいし、賛辞と栄光の伝記も見あたらないとか。

作者の原田務氏は「ここまで評価が最低に徹すると、昭和の戦争の被害者の一人としてどうしてもその真偽をの実態を探らねばいけない気がする」と


明治の怪 山県有朋

を書かれました。
山県(県・著書に合わす)有朋は長州・萩の生まれだが、身分は最下層。

毛利敬親が村田清風を抜擢し、家柄や資格を問わず採用する方針を打ち出したおかげで運気が開けたという。
京にも行くことができ、そこで久坂玄瑞から松下村塾へ行くことを勧められる。

松陰が野山獄に入れられるまでのわずか2ヶ月が入門期間でした。

山県は奇兵隊を立ち上げた高杉に四番隊の隊長に任命されます。
有朋の【慎重なほかの武士には見あたらない事務処理能力】を買ったもの。
やがて総督につぐ軍監となってます。

功山寺挙兵のときには、伊藤が暗闇の中の活路に鋭敏に反応し命がけですっぱりと先頭を切ったのに対し、
ぐずぐずと優柔不断にいつまでも石橋を叩いていた山県は参加が遅れました。


この伊藤と山県の性格の違いは明治以降の政治活動にも出ているらしい。


第二次長州征伐の決戦の前、奇兵隊の将兵たちは馬関の旗亭にいってます。
皆、明日は命がないかもしれない・・・だから最後の大騒ぎ(笑)

山県は嬌名をうたわれた津山太夫という芸妓と熱い仲になっていたとか。
高杉にもずいぶんけしかけられたそうです。
女と遊ぶことでは大先輩ですから(笑)

そのとき唄った歌がかっこいい

粋なこの世に生まれたからは
意気な人だと言われたい



山県はもてたらしいですvv


明治政府で山県がまずしたこと

軍制改革の首班に武士たちに人気のある西郷隆盛をあてた
フランス式(政府指揮下にある軍隊)の兵制に統一
薩長土より御親兵を献納させてその武力を背景に廃藩置県を行なった。
藩主支配の兵を無くしてしまった

徴集兵の戦闘力は西南戦争で証明されました。


山県が「大日本帝国を滅ぼした」まで言われるわけは彼が「統帥権の確立」を政府に認めさせたから。

【明治11年軍隊の維持と養成をする「軍政」と実際の活動をする「軍令」を切り離し
「軍令」部分を参謀本部が受け持ち天皇の直属とする】


戦争を決断したり、あるいは終わらせたりするのは政治家の職務ですが、戦争開始後の指揮権は軍人に任せた方がよいであろうという判断からくるものでした。

これを「統帥権の独立」といいます。

つまり天皇の親裁を得たなら統帥権を振りかざして思う存分戦闘行為を展開できるようにしたのでした


明治憲法が制定された当時は、明治維新の元勲(げんくん、国家に尽くした大きな功績のある人のこと)であった、いわゆる元老(げんろう)が大きな力を持っていたし
西南戦争などの不平士族の反乱から生き残った、経験豊富で精強な軍隊もしっかりした国家観を持っていた。
だから統帥権の独立など全く問題になりませんでした。


軍事命令を実行しなければならない側(伊藤・大隈・黒田ら参議・右大臣岩倉、太政大臣山上実美)は
だれもこの条文に反対していないのです。

(初代参謀本部長山県有朋、次長に大山巌、管東局長堀江芳介、管西局長桂太郎)

伊藤・山県の線ではうまくいっていた政府と軍部の関係が昭和になって
崩れたことが不幸な戦争を招いてしまった・・・・



山県は子分には恵まれたが家庭的には極めて不幸でした。

実子は7人中六人まで早世し、友子夫人まで先に逝ってしまった
友子夫人は馬関小町と言われた富豪石川良平の娘さん。
慶応三年七月に結婚

明治40年10月26日ハルピンで伊藤博文が銃弾に倒れて亡くなった折は
「俊輔は幸運だった。わしは武人として俊輔の最後は誠にうらやましい。」と話したらしい。


晩年は次女松子と養子伊三郎と暮らしていましたが多くの同志を見送り
寂しかったことと思います。



この本にひとつだけ救いになる話として敗戦直後の昭和20年9月9日、昭和天皇が皇太子に出した手紙が
紹介されてます。

「(敗因のひとつとして)明治天皇の時には、山県、大山、山本(権兵衛)などの如き陸海軍の名将がおったが
今度のときはあたかも第一次世界大戦の独国の如く軍人が跋扈して大局を考えず進むを知って退くことを知らなかったのです。」と山県を名称の第一人者にあげている



※この本は二話あり、後半は岩崎弥太郎でした。
 岩崎と山県の幸運は「藩が改革される時期にすべりこめた」と言うことだと思います
 山県が松陰の没する2ヶ月前に入門したこと
 弥太郎が吉田東洋の暗殺の前に見出されたこと
 ふたりとも実力で登用する方針があったからこそ成りあがれた。
 
 動乱の幕末を生き抜いた二人にはやはり大きな運があったのだと感じます。 


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カテゴリ: 幕末関連

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