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最近読んだ本です。

知らなかった! 驚いた! 日本全国「県境」の謎 (じっぴコンパクト)知らなかった! 驚いた! 日本全国「県境」の謎 (じっぴコンパクト)
(2007/09/19)
浅井 建爾

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明治維新による「県」の誕生から書かれています。

1871年(明治4)7月   廃藩置県   3府302県  (藩をそのまま県)

 同年        11月  統廃合   3府72県    (多すぎるため旧国を基に)

1876年(明治9)      統廃合   3府35県   (財政力を均一化)

このときの統廃合は住民感情を無視し、人口や財政規模を重要視して県境を決めたので反発を買いました。
(富山・福井・鳥取県が消え、四国が愛媛と高知だけ、奈良は堺県でした。)
山越えして行政手続きをしなくていけないところとか、不満爆発。
紛争が起こったりしたので少しずつ分県を認めていったらしい。

1888年(明治22)に香川県が43番目の県として分離独立しほぼ改編作業は終了。

でも東京が府ではなく都になったのは1943年(昭和18)だし、沖縄がそろう1972年(昭和479)になって今の体制となったのです。


四国は波乱万丈です。

江戸時代  伊予・讃岐・阿波・土佐

明治4   宇和島・松山・香川・名東・高知

明治6   愛媛・名東・高知

明治9   愛媛・高知

明治13  愛媛・徳島・高知

明治21  愛媛・香川・徳島・高知

この分離統合の間、県会では各地方議員同士がもめたり、新任県令とそりが合わなかったりもめにもめた。
風土・習慣・人情が違うというのは大変なことなのです。



これほど交通の便や情報が早く伝わる時代になっても地域性は根強く残っているものですね。

ケンミンショーで宮崎県出身の米良美一さんが東国原宮崎知事の「どげんかせんといけん」は鹿児島弁だと言ってました。(鹿児島出身の西郷輝彦さんも認めていました。宮崎では「どんげか」)

いわく、「知事は都城生まれでしょう、あそこはもともと薩摩だから」

(一時期鹿児島と宮崎は併合して鹿児島県となったが、西南戦争と鹿児島寄りの行政で宮崎が荒れたため分県運動となりわかれた)


明治維新からは145年だけれど、江戸時代は264年。
この時代でもやっぱり旧国(藩)の影響が残っているのかと感心しました。


「俺は武州、三多摩の百姓の出で・・」

といえばドラマ「燃えよ剣」の土方歳三ですが、三多摩(北・南・西多摩郡)はもともと神奈川県だったともありました。
この地域の東京府移管は東京の水源「玉川上水」が神奈川県にあることが不都合ということから始まりました。
地元は反対。20年近くかかって政治的おもわくもからんで東京府に移管。
東京都になるとき(昭和18年)は「多摩県」として独立すべきとの意見もでたらしい。

さすが八王子千人同心の土地柄、政府に敵対する自由党の強い地盤だっただけあります。


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コメント - 2

なつ  2010, 02. 03 (Wed) 17:38

リューザキ弾正さん

県境を決めた人は本当に大変ですね。
平成の大合併のときももめましたし、今も安土町は近江八幡市に併合されるのを反対しています。

経済的に結びついているから隣の県にしてほしいとかもあったようです。
(福井県の若狭は京都に入れて欲しかったらしい)

高知県は、明治政府で「土佐」が大きな力を持っていたせいか、ずっと一国の領土を守ってますね。
山脈が他三県との壁になっているということもあります。
今も愛媛は広島、香川は岡山、徳島は淡路経由の兵庫と結びつきが強く四国でまとまることが難しいそうです・・・

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リューザキ弾正  2010, 01. 30 (Sat) 20:33

県民気質と戦国

今晩は♪
「藩」だけでなく、戦国時代の争いも、関連あります。

たとえば、宮崎は、伊東氏に助力を乞われた大友宗麟と島津氏の戦いで、
通称「日向後家」を生み出してます(^^;)
宮崎県内でも微妙な温度差はあるでしょうね。

四国は、関ヶ原の合戦前は、土佐の長宗我部に荒らされまくりました。
高知県人以外の(^^;;)四国の人は、若い世代でも「高知県とは一緒にしないで」
みたいな・・・・(苦笑)

ある意味、県境を決めた人が大変だっただろうな~と(涙)

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