新選組あれこれ その2
2007/07/10(Tue)
大内美予子の「沖田総司」を読みました。

沖田総司 沖田総司
大内 美予子 (1999/04)
新人物往来社

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アマゾンの個人が作った「新選組本リスト」では絶対取り上げられているし、レビューも好評です。
私たちの思い描く「沖田総司」に一番近いのかもしれません。
ここでの総司は、ひとりの青年です。
『剣を鮮やかに振り回し志を貫く』といった姿ではなく、仲間を思いやり、女性にも心揺れる普通の生活です。誰もが総司にだけは心を開き血生臭い毎日の中にひとときの『笑み』を求めています。
総司が江戸で養生するあたりから言葉ひとつひとつが妙に重く哀しくなって、読んでいてもぐっとくることが多くなりました。
土方に一緒に行きたいと願うあたりは涙した人も多いでしょう。

総司は、近藤勇を慕っていたが土方と仲がよかったという「史実」はないらしい。近藤勇をいう人にほれ込んだもの同士であったことは確かです。総司が近藤の死を知らずに逝ったことだけが救いです。


沖田総司が「子どもや同志たちに好かれていた」理由についてなるほどと思った文章がありました。
「図説新選組史跡紀行」(学研)の中の一文です。

九歳のころに試衛館道場に預けられた彼のことです。

「皆、気のいい、根は優しい大人たちだった。が、いかに温かく迎えられようと、所詮は“他人の家”である。子供らしい我儘も押さえ込む。言いつけられたことは黙ってこなし、口答えせずに、笑顔を忘れず、目立たず・・そうこうするうちに宗次郎は子供らしい欲求の感情を失くした。」

総司は、近藤や土方のように食うに困らず多摩ののびやかな地でのびのびと好き放題をして育ったのではないとも書いています。

「冗談ばっかり言ってたのは誰も信じていないから。いつも笑っていたのは、自分の心を決して見せないため・・」

だともあって、彼は終生孤独だったのかなと思います。
剣によって生かされてきたわが身が剣で死ぬことができないと知ったとき、どう心の折り合いをつけたのでしょうか。



この本は新選組にゆかりの場所や、品物を地図とともに多数載せています。多摩・龍源寺の近藤勇像から京都・前川邸・壬生寺、会津鶴ヶ城、松前・五稜郭・・・新選組に興味を持った方ならなじみの地名であり姿でしょう。とりまく人々の紹介もあり、いままで読んだ中で一番よくわかりました。

疑問というか、ひとつ思ったことは・・

多摩あたりでは近藤勇や新選組は英雄だったと思います。そのため歴史館や顕彰碑といったものも多くお祭りとかもあるようです。
(もちろん明治時代は無理だったと思われます)
でも京都では新選組は嫌われて(恐れられて)いたのではないのでしょうか?
なのに「池田屋事変パレード」とかあったりするのですね。
壬生寺には近藤勇の像があるというし・・・
これも時代の流れでしょうか・・・・


新選組については「逆賊」となり、遺品のたぐいを関係者や家族が新政府に知られないように処分していたりして、ほとんどないと聞きました。そのため有名なのに「本当にいたのか?」と思われるくらい存在証明が少ないとか。

黒鉄ヒロシさんの「新選組」(PHP研究所)でも肖像(写真)のない隊士がたくさんいて、そういう彼らの顔はギャグだったり、まっしろだったりしてます。この本は「新選組」描いたものとしてはすごく異色です。土佐のうまれという作者は、「近藤勇も土方歳三も敵だった」と言いますが、だんだんひかれるようになったらしい。
黒鉄さんの曾祖母は坂本龍馬を見たことがあるそうです。
幕末を身近で育った作者の力作です。


新選組 新選組
黒鉄 ヒロシ (1996/12)
PHP研究所

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