傾いた本棚

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本棚を見るとその人のことがわかるとか・・・

謙信と上杉一族  別冊歴史読本 

日本テレビ系の「日本史サスペンス」最終回・会津の女たちはすっきりしたつくりでしたね。
最後に有名でない人物をもってきたところに誠意を感じました。(終わっちゃうのですが・苦笑)

その前の週は「上杉謙信」で、こちらは「謙信・女性説」とか「男好き説」とかちょっとワイドショーめいてました。謙信の兄を演じていたのがお気に入りの役者さんだったのでしっかり見ました(笑)
末弟景虎(のちの謙信)に家督を譲る嫡男長尾晴景
病弱でヘタレな殿は景虎を「養子」として迎えて家督を相続。平和のうちに政権交代ができたとのこと。五年後亡くなってます(享年45)

というような資料を下記の本で知りました。


越後の龍謙信と上杉一族―義に生きた戦国最後の軍神 (別冊歴史読本 96)
謙信は遺言を残さず急死したので景勝・景虎の二人の息子が争います。
この本では、『景勝には上杉家を、景虎には関東管領職を譲るつもりであったろう』と書かれてます。

その思いは伝わらず(たとえそうなったとしても双方納得するかは疑問)争うことになります。
「御館の乱」です。
直江・本庄・長尾の謀略が進んでいた間、何も知らず喪に服していた景虎。
やっぱり直江兼続は「黒」です(笑)

上杉家といえば幕末まで存続した稀有な一族ですが、景勝の直系は途絶えて断絶の危機もありました。米沢三代藩主綱勝が急死したからです。

嗣子もなく兄弟もなかった上杉を救ったのは、綱勝の岳父(妻の父)保科正之
将軍の大叔父としての権力を使い妹の子を養子として迎えるよう取り計らったのです。
妹の嫁ぎ先は吉良家。そうあの忠臣蔵の吉良義央
届出不備で半領となるは、実家吉良への財政援助やらで大変だったようです。

ドラマなどで描かれる、上杉綱憲が実父を助けに向かうのを家老が止めるシーンは実際にはなかったようです。江戸庶民は討って出なかった上杉家を揶揄したようですが・・・

もうひとり一族で有名なのが上杉鷹山
財政改革をした人として今注目されてます。鷹山は九代目藩主ですが八代目藩主が贅沢ばかりしていたらしい。前藩主の重臣たちもその生活に慣れていたため鷹山の改革に抵抗しました。
鷹山は小家からの養子だったせいもあります。
いつの時代も大きく変えようとすると強い反発があるものです。

そして幕末。上杉斉憲の時代。仙台藩とともに会津追討を命ぜられた米沢藩。
しかし会津は保科正之の時代に恩義のある藩。
「王命による征伐」としつつ裏で懸命に和平工作していました。

嘆願書(藩主親子の城外追放・削封)を書いた会津藩を支援するため、仙台藩主伊達慶邦ととも諸藩に呼びかけ奥羽列藩からも嘆願書を出すが拒絶されてしまいます。
世良修蔵の暗殺もあり、奥羽越列藩同盟を結成。官軍と敵対することになりました。

しかし官軍の勢力は日に日に増して家老色部長門は関谷村の戦いで戦死。
新発田・秋田藩の同盟背反もあり降伏します。
戦後、色部長門を首謀者として届けたために他の処刑者を出さずにすんだといいます。
(米沢と新潟(戦士地)に顕彰碑があるそうです。)


家名を存続するというのは大変なことなのだとこの本を読んで思いました



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カテゴリ: 時代小説

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