傾いた本棚

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本棚を見るとその人のことがわかるとか・・・

謀将直江兼続 南原幹雄 

他のブロガーさんのところで「泣き虫わんこ」と称されている直江兼続。
米沢市のキャンペーンマスコットがこの「かねたん」です。
438点の応募から選ばれた大阪のデザイナーさんの作品。

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このイラストに「智将」のおもかげはありません(笑)が、読んだ本は「謀将直江兼続」です。
「天地人」の原作は図書館の予約が多くて手にとっておりません。
(ドラマとは違うのでしょうか?)
代わりというか、ほかにどんな書き方をされているのか知りたくてこの本をとりました。

謀将 直江兼続〈上〉 (徳間文庫)


この本は徳川家康が会津攻めを決めて東を兵を進めたが、石田三成が挙兵したと聞いて西にとって返すところから始まります。
兼続はもちろん退却する家康を追撃するように景勝に進言します。
しかし景勝のこたえは


 『謙信公はかって一度も敵の背後を襲ったことはなかった。
 したがってわが軍法に、退却する敵をおそう作戦はない』


でした。
いままで一度も兼続の意向と違ったことがなかったのにこのときは違っていました。

殿に天下をとらせたいという兼続の願いはいったん終わりました。


このあと徳川家康が亡くなるまで、兼続が「次のチャンス」を待っていたというのがタイトルの「謀将」でした。

たとえば、米沢への転封の際に家臣を減らさなかったのもやがてくる対決のための備えであり、
鉄砲鍛冶を一族ごと米沢に呼び寄せ山奥に「鍛冶村」といえる集落を作らせたりします。
また本多家との交わり、茶や歌を通じての大名・公家衆との交流も来るべき日に備えてとされます。
上杉景勝が交際ベタだったぶん兼続ががんばったということでしょう。

本多正信の息子、本多政重を長女お松の養子に迎えたもののお松が1年あまりで亡くなり、次に弟の娘とめあわせてまで上杉に留まらせたのに、加賀の前田家に行ってしまう。

解説書とかでは、兼続の実子に遠慮したためと書かれているものがありましたが、この本ではあえて前田家に奉公させてことあるときは「前田」に共に動いてほしいという「謀略」だったとしています。

西軍の残党に「家康を追撃しなかった腰抜け」と言われる場面があり、家康に膝を屈した無念さが出ていました。


この本は若い頃の兼続が書かれていないので、景勝に対する忠誠心がどこからくるのかよくわかりません。その点でいえば大河ドラマの子役時代は後の関係に繋がる重要な話でしたね。
(今の二人にあんまりおもかげはないですが・・苦笑)




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カテゴリ: 時代小説

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