寺田屋騒動決着と島津家の末裔
2008/09/26(Fri)
幕末の歴史の舞台になった旅館「寺田屋」が当時の建物ではなかったと報じられました。
当時のかわら版に鳥羽伏見の戦いによる焼失地域として書かれていたそうです。

旅館を運営している会社は、「一部が焼失しただけで、残りを修理して現在に至る」と主張しています。

まあ、学者の間では「全焼した」というのが通説だったらしいし、近所に住んでいる人も古いひとなら知っていたと思います。
でも地元では別に大騒ぎして「うそつき」と言っているわけでもなさそう・・・
龍馬ファンだって少し歴史を学んだらわかったことだと思うのです。

だから、今年こんなニュースになってしまったことが不思議といえば不思議・・・
「篤姫」人気からきているのでしょうね。
いまさら調査している「京都市」が情けないかも。
本当なら市の観光案内に載せる時点で調べているはず。
で、話題になれば「ああそう言われてますね。市では再建という位置づけです」とかさらりとこたえてほしかったです。


24日づけの読売新聞に「島津家32代当主」の方が載っていました。
島津斉彬をまつる照国神社宮司だという現当主は東京生まれ(1938)です。
お兄さんが早逝されて当主を継がれたとき鹿児島に移住されたとか。
裏千家茶道に関わられていて、沖縄や奄美など「薩摩」に複雑な感情を持つ地域との和合をはかるため交流茶会を開かれたそうです。

沖縄、奄美、あるいは蝦夷など実は攻められて服従させられた地域なのですね。
日本が「統一民族」とくくれない歴史があったことをつい忘れがちです。
(ケンミンショーなど見ていると県ですらまったく違う国のようです。)


十七代義弘公(千利休のころ)から茶の湯に縁があるそうですが、「島津」の名を負うということはたいへんなことだなあと思いました。




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