明治維新・英傑の秘話 田部井昌子
2008/05/09(Fri)
明治維新 英傑の秘話

西郷隆盛・大久保利通・坂本龍馬・木戸孝允・大村益次郎・西周に繋がる方と田部井昌子さん(関塾社長)が対談してます。
多くの方が4代目に当たられ、直接偉人たちと話したとかいうことはありません。
中には30歳過ぎて先祖をたどったら竜馬の親戚だとわかったという方までいます。
(本人は「土居」姓・祖父が龍馬の妹千鶴の次男という関係)
この本で初めて知ったことを箇条書きにすると・・・・


・大久保が明治11年(1878)の5月14日朝暗殺されて、そのことが16日のロンドンタイムスに載ったていた(長崎と上海、長崎とウラジオストックが明治4年には海底テーブルで結ばれていた)
青山の大久保の墓地にはそのとき一緒に殺された御者と馬も葬られている
鹿児島にある大久保の銅像の台座には馬と御者のレリーフも彫られている。

・上野公園の西郷の像に対して糸子夫人が「こげな人とは違う」と言ったのは「人前にでるときは衣を正したし絣の着物で人に会う人ではなかった。目つきももっと滋味にあふれた優しい目だった」ということらしい。

・西郷は明治天皇に「自分の写真をやるからお前の写真を持って来い」と言われても固辞した。

・明治天皇は御所の火事の折、西郷から献上された箪笥を持ち出すことにこだわり、自ら火に飛び込もうとされた。

・木戸孝允の孫にあたる木戸幸一は昭和天皇の側近として宮中のようすを書いた「木戸日記」で知られている。極東軍事裁判(東京裁判)で証拠として提示し天皇の戦争責任回避に尽くした。

現在の靖国神社の前身。「招魂社」を作ったのは大村益次郎であり四境戦争で命を落とした長州藩士や隣藩の藩士を弔った。のちに鳥羽伏見から五稜郭まで明治維新にかかわって命を喪った英霊を奉祀した。

・西周はまわりから「西家には困った阿呆が生まれた」と言われていたらしい。
とにかく勉強が好きで本にのめりこんで他の事はなにもできなかった

・西周は慶喜にフランス語を教えていたが、帰ってくると「つまなくて嫌になっちゃう」と愚痴っていた。


偉人を先祖に持つということで、知らないうちに「歴史」までも背負うことになる末裔の方々。
それはそれで苦労もあったようです。

関連記事
この記事のURL | 幕末関連 | CM(0) | TB(0) | ▲ top
<<ハチミツとクローバー | メイン | 図説新選組クロニクル(別冊歴史読本)>>
コメント
コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する


▲ top

トラックバック
トラックバックURL
→http://naturalreload.blog77.fc2.com/tb.php/132-3c2d2d1a

| メイン |